仏教の思想 10 絶望と歓喜<親鸞>

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  • 定価: (本体円+税)
発売日:
1996年10月22日
判型:
文庫判
商品形態:
文庫
ページ数:
416
ISBN:
9784041985106
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仏教の思想 10 絶望と歓喜<親鸞>

  • 著者 増谷 文雄
  • 著者 梅原 猛
  • 定価: 円 (本体円+税)
発売日:
1996年10月22日
判型:
文庫判
商品形態:
文庫
ページ数:
416
ISBN:
9784041985106
日本人にもっとも高い人気をほこる仏教者、親鸞。親鸞を語る著述は数多くあるが、近代の親鸞解釈の大半は、もっぱら『歎異抄』の中の悪人正機説を取り出し、その思想を賛美するものである。しかし悪人正機説は、はたして親鸞の思想の核心を語り尽くしているだろうか。「死の浄土教」から「生の浄土教」へと、挫折と絶望の90年の生涯の中で親鸞が創造した歓喜の信仰と親鸞浄土教思想の真髄を、主著『教行信証』を軸に捉え直す! 日本人にもっとも高い人気をほこる仏教者、親鸞。親鸞を語る著述は数多くあるが、近代の親鸞解釈の大半は、もっぱら『歎異抄』の中の悪人正機説を取り出し、その思想を賛美するものである。しかし悪人正機説は、はたして親鸞の思想の核心を語り尽くしているだろうか。「死の浄土教」から「生の浄土教」へと、挫折と絶望の90年の生涯の中で親鸞が創造した歓喜の信仰と親鸞浄土教思想の真髄を、主著『教行信証』を軸に捉え直す!

※画像は表紙及び帯等、実際とは異なる場合があります。

もくじ

文庫版 序
はしがき

第一部 親鸞の思想   増谷文雄
一章 親鸞の生涯
1 絶望の人
2 法然との出会い
3 関東の親鸞
4 京都隠棲
二章 親鸞の著作
1 『教行信証』
2 「文類」の小篇
3 「文意」の諸篇
4 三帖の「和讃」
5 『西方指南抄』
6 「書簡」の役割
7 善鸞事件の真相
三章 親鸞の思想
1 思想ということ
2 信心ということ
3 「義なきを義とす」

第二部 法然と親鸞
〈対談〉     
増谷文雄
梅原 猛

第三部 親鸞と『教行信証』   梅原 猛
一章 愚禿親鸞の人生
二章 『教行信証』の思想

親鸞の著作等年譜
参考文献
日本仏教史年表

解説   大峯 顯

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「仏教の思想 10 絶望と歓喜<親鸞>」感想・レビュー
※ユーザーによる個人の感想です

  • ぞくぞくする読書だった。梅原さんの文章は”謎解きサスペンス”仕立てのエンタメになっていて、しぜんと引っぱられていく。『教行信証』、親鸞さんの難解な代表作に、梅原さんがズバズバと手厳しいツッコミをいれてい ぞくぞくする読書だった。梅原さんの文章は”謎解きサスペンス”仕立てのエンタメになっていて、しぜんと引っぱられていく。『教行信証』、親鸞さんの難解な代表作に、梅原さんがズバズバと手厳しいツッコミをいれていくとこがこの本の読みドコロだ。曰く…てんで論理的ではない、わかりにくい文章、もたもたしている、漢文の読み方が正しくない、証明が不十分、苦しまぎれのコジツケなどなど。でも、そんなかさぶたみたいな言葉のザラツキに、親鸞さんの苦悩と実存の痕跡を見出して、梅原さんは「そこが真価」だと評価する。その点、おおいに賛同。 …続きを読む
    nbhd
    2016年07月10日
    20人がナイス!しています
  • 著者達は『歎異抄』でなく『教行信証』から浄土真宗の特質を概説する。本書は、親鸞が生きた末法の世、鎌倉仏教での親鸞の特異な位置を、中国浄土教の高僧善導、親鸞の師法然、親鸞の思想の歴史的比較や、親鸞自身の 著者達は『歎異抄』でなく『教行信証』から浄土真宗の特質を概説する。本書は、親鸞が生きた末法の世、鎌倉仏教での親鸞の特異な位置を、中国浄土教の高僧善導、親鸞の師法然、親鸞の思想の歴史的比較や、親鸞自身の苦難の生(離散、出家、流罪、還俗、息子の裏切り)に照らしつつ、なぜ従来の教・行・証の三法に「信」が加えられたのか、という点を中心に読み進む。すると、三法のトップダウン体制だった仏教が、「信」の導入でボトムアップから再編成され、末法の世の絶望から希求される死後の浄土が、今を生きる歓喜へと変容する様が見えてくる。 …続きを読む
    roughfractus02
    2021年05月03日
    7人がナイス!しています
  • 梅原は親鸞を浄土教を死の浄土教から生の仏教にしたといい、阿弥陀如来を死者ではなく生者のものに変えたと主張する。当時の親鸞が置かれた環境や経験、深い自己洞察がなければ経典の読解方法の転換や浄土の大胆な意 梅原は親鸞を浄土教を死の浄土教から生の仏教にしたといい、阿弥陀如来を死者ではなく生者のものに変えたと主張する。当時の親鸞が置かれた環境や経験、深い自己洞察がなければ経典の読解方法の転換や浄土の大胆な意味付けはなされなかっただろう。梅原の筆致は、学問的裏付けと瑞々しい感性に裏打ちされ、非常に好感が持てる。煩悩は如何なることでも断ちがたく親鸞は絶望するが、その境地に身を置いたからこそ阿弥陀の救済が立ち現れ意味を持つ。絶望のないものに歓喜はない。タイトルのつけ方も秀逸。 …続きを読む
    kichy
    2024年02月12日
    5人がナイス!しています

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