法然を読む 「選択本願念仏集」講義

法然を読む 「選択本願念仏集」講義

試し読みをする

※電子書籍ストアBOOK☆WALKERへ移動します。

試し読みをする

※電子書籍ストアBOOK☆WALKERへ移動します。

  • 定価: (本体円+税)
発売日:
2011年09月23日
判型:
文庫判
商品形態:
文庫
ページ数:
240
ISBN:
9784044068028
label

法然を読む 「選択本願念仏集」講義

  • 著者 阿満 利麿
  • カバーデザイン 芦澤 泰偉
  • 定価: 円 (本体円+税)
発売日:
2011年09月23日
判型:
文庫判
商品形態:
文庫
ページ数:
240
ISBN:
9784044068028

法然上人八〇〇年大遠忌 一切の人々は救済されるとしたその教えに迫る!

「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで皆往生できる――。法然が深甚な智慧と膨大な行の大系の中から選び取った一行は、不条理や不安が生み出す絶望から人々を自由にする唯一の言葉であった。熾烈な弾圧を受けながらも、法然はどのようにして新しい救済の道を見いだすに至ったのか。主著『選択本願念仏集』をテキストとしながら、その信念と現代的意義を丁寧に読み解く。人類社会にとって、宗教の果たす役割とは何かを考える絶好の書。 「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで皆往生できる――。法然が深甚な智慧と膨大な行の大系の中から選び取った一行は、不条理や不安が生み出す絶望から人々を自由にする唯一の言葉であった。熾烈な弾圧を受けながらも、法然はどのようにして新しい救済の道を見いだすに至ったのか。主著『選択本願念仏集』をテキストとしながら、その信念と現代的意義を丁寧に読み解く。人類社会にとって、宗教の果たす役割とは何かを考える絶好の書。

※画像は表紙及び帯等、実際とは異なる場合があります。

もくじ

まえがき

序章 中世という時代と法然の出現
輪廻という物語
神は仏の一部
忌みとケガレ
法然の「宣言」
平重衡の最期
『選択本願念仏集』

第一章 新仏教「浄土宗」の樹立
法然の選択
道綽の決断
「火宅」
「仏性」
時代のなかの人間
「浄土門」から「浄土宗」へ

第二章 新しい救済原理と方法
「正行」と「雑行」
「開合」「翻対」「相対」
「本願」
「第一八願」
「選択」
「平等の慈悲」
「一向」
経典から念仏へ

第三章 どのように「信じる」のか
「三心」
「信心」成立のための二つの過程
宗教は主観的事実である
旅人のたとえ

第四章 「諸行」論
なんのために「諸行」が説かれているのか
念仏を証明する仏たち
「共存」の論理

終章 ひとえに善導による
念仏弾圧のなかで
ふたたび「選択」について
ひとえに善導による
『選択本願念仏集』からなにを読みとるか

あとがき
文庫版あとがき

「法然を読む 「選択本願念仏集」講義」感想・レビュー
※ユーザーによる個人の感想です

  • 法然上人が、わてらのような凡人もみなお救いなさろうと、古代インドの経典や中国の仏典を読み解かれ、「生涯悪を造るのみの人間であっても、常に浄土を思って専ら念仏すれば、一切の障りは自然に消滅し、浄土に往生 法然上人が、わてらのような凡人もみなお救いなさろうと、古代インドの経典や中国の仏典を読み解かれ、「生涯悪を造るのみの人間であっても、常に浄土を思って専ら念仏すれば、一切の障りは自然に消滅し、浄土に往生できることはまちがいがない」との教えを、お導きになりはられました。ありがとうすのう。 …続きを読む
    本のロマンス
    2024年09月21日
    13人がナイス!しています
  • 久しぶりでの法然上人。これまでもいくつか読んだことはあるのですが、そのたび「心に残る」というか「気にかかる」言葉があったりします。今回は「凡夫」。すなわち、「仏教の真理をできない愚か者」のことですが、 久しぶりでの法然上人。これまでもいくつか読んだことはあるのですが、そのたび「心に残る」というか「気にかかる」言葉があったりします。今回は「凡夫」。すなわち、「仏教の真理をできない愚か者」のことですが、法然上人の苦悩はこの凡夫が救われる道はないのか、「煩悩」に縛られ、「廃悪修繕」のための実践ができない者は成仏はできないのか、その一点から始まります。上人はそれらが救われる道を示してくれたのですが、その教えを受け止める我々も、自分が「凡夫」に他ならないことを心に留めておかなければならないと、改めて感じました。 …続きを読む
    moonanddai
    2024年10月28日
    8人がナイス!しています
  • 宗教とは、有限な自己が無限の存在に自己を託そうとする営み。「私共は神仏が存在するが故に信ずるのではない。私共が神仏を信ずるが故に、私共に対して神仏が存在するのである」 従来の仏教は煩悩からの解放が目的 宗教とは、有限な自己が無限の存在に自己を託そうとする営み。「私共は神仏が存在するが故に信ずるのではない。私共が神仏を信ずるが故に、私共に対して神仏が存在するのである」 従来の仏教は煩悩からの解放が目的であったが、善導や法然の浄土教では、煩悩のただなかにあって、凡夫のまま救われる道がある。 「定散」(瞑想や道徳的実践、仏教が教える徳目の実行)は「随他意」(聞き手の能力や状況に応じて教えを説くこと)の説法であり、「念仏」は「随自意」(聞き手の状況にかかわらず自己の考えるがままに説くこと)による説法である。 …続きを読む
    かに
    2023年03月08日
    6人がナイス!しています

powered by 読書メーター

この著者の商品

最近チェックした商品