太平記史観 日本人の歴史認識を支配した物語

  • 定価: (本体円+税)
発売日:
2026年05月09日
判型:
新書判
ページ数:
232
ISBN:
9784040824321
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太平記史観 日本人の歴史認識を支配した物語

  • 著者 谷口 雄太
  • 定価: 円 (本体円+税)
発売日:
2026年05月09日
判型:
新書判
ページ数:
232
ISBN:
9784040824321

『太平記』。それは武士像はじめ、日本人の歴史認識を縛ってきた物語である

新田義貞と足利尊氏は同格?→違う。新田が明確に格下
両氏は別の一族?→誤り。実は同じ一門

中世から現代まで、数多の作品の種本になり続ける『太平記』。
武士像はじめ、実は日本人の歴史認識を縛ってきた物語である。
その虚実に加え、「史観」の影響力を気鋭が最新研究で暴く!

司馬史観よりも強い「太平記史観」
足利尊氏、新田義貞、楠木正成、高師直をはじめ、『太平記』で描かれた武士像、話の構成は中世から近世、近現代まで何百年も日本人の歴史認識を縛り、現実にも影響を及ぼした。
例えば、徳川光圀の『大日本史』も『太平記』に依拠しており、その楠木正成像を筆頭に、尊王攘夷・皇国思想に「太平記史観」は繋がっていったのである。
重要史料だが、虚実ないまぜで取り扱いが難しい物語。高師直=悪玉の修正はじめ、歴史学と国文学の格闘の成果を示しながら、我々の歴史認識まで問い直す。

続々と塗り替えられる鎌倉末期から南北朝の世界像
■山名宗全も、徳川家康も、「足利一門」だった
■楠木正成は、鎌倉幕府の関係者だった
■尊氏との戦いは足利一門の分裂戦争。義貞は第三極を目指した
■鎌倉期、得宗は九代でなく「八代」とされていた
■源義経主従の話には『太平記』がベースのものがある
■鎌倉幕府滅亡の理由はいまだに不明
■新田氏と北条氏の関係は密だった
■吉野攻撃は高師直の独断ではなく足利直義の判断

【目次】
はじめに
第一章 太平記史観とは何か
第二章 『太平記』の基礎知識
第三章 太平記史観の諸相
第四章 太平記史観を超えて
おわりに
あとがき
参考文献
新田義貞と足利尊氏は同格?→違う。新田が明確に格下
両氏は別の一族?→誤り。実は同じ一門

中世から現代まで、数多の作品の種本になり続ける『太平記』。
武士像はじめ、実は日本人の歴史認識を縛ってきた物語である。
その虚実に加え、「史観」の影響力を気鋭が最新研究で暴く!

司馬史観よりも強い「太平記史観」
足利尊氏、新田義貞、楠木正成、高師直をはじめ、『太平記』で描かれた武士像、話の構成は中世から近世、近現代まで何百年も日本人の歴史認識を縛り、現実にも影響を及ぼした。
例えば、徳川光圀の『大日本史』も『太平記』に依拠しており、その楠木正成像を筆頭に、尊王攘夷・皇国思想に「太平記史観」は繋がっていったのである。
重要史料だが、虚実ないまぜで取り扱いが難しい物語。高師直=悪玉の修正はじめ、歴史学と国文学の格闘の成果を示しながら、我々の歴史認識まで問い直す。

続々と塗り替えられる鎌倉末期から南北朝の世界像
■山名宗全も、徳川家康も、「足利一門」だった
■楠木正成は、鎌倉幕府の関係者だった
■尊氏との戦いは足利一門の分裂戦争。義貞は第三極を目指した
■鎌倉期、得宗は九代でなく「八代」とされていた
■源義経主従の話には『太平記』がベースのものがある
■鎌倉幕府滅亡の理由はいまだに不明
■新田氏と北条氏の関係は密だった
■吉野攻撃は高師直の独断ではなく足利直義の判断

【目次】
はじめに
第一章 太平記史観とは何か
第二章 『太平記』の基礎知識
第三章 太平記史観の諸相
第四章 太平記史観を超えて
おわりに
あとがき
参考文献

※画像は表紙及び帯等、実際とは異なる場合があります。

もくじ

はじめに
足利尊氏と新田義貞を「同格」のイメージとしてつくったのは『太平記』/新田義貞は、「足利一門」だった/山名宗全も徳川家康も「足利一門」だった―わたしたちの「常識」を衝け― 等

第一章 太平記史観とは何か
「太平記史観」を定義する/「太平記史観」を批判する/「平家物語史観」を批判する/「徳川史観」を批判する/「御一家」には、「二つの異なる意味合い」が込められていた/「足利一門」の定義がかわる/吉見氏は、源頼朝の兄弟の流れだった/中世の史料のなかに、すでに『太平記』の影響が見えている/新田氏の家紋は、「一引両」か、「二引両」か/「大新田氏」という大問題/「足利一門」という一大ステータス/徳川家康も「足利一門」を名乗った/「源家嫡流」へとすりかわる/山路愛山の卓見/「太平記史観」はおわらない 等

第二章 『太平記』の基礎知識
『太平記』の作者はいまだに不明/『太平記』の諸本と課題/『太平記』への問題意識が低かった戦後の歴史学/古態本の内容は、本当により古いものなのか?/内容と「序」/『太平記』と歴史学―「太平記は史学に益なし」―/「太平記は物語の類」/史実として採用もしない/『太平記』の復活/「極端論」と「尊重論」/『太平記』との三つの向き合い方/国文学者たちの見解/『太平記』には『平家物語』の影響が多々見られる/後世への多大な影響

第三章 太平記史観の諸相
鎌倉期、得宗は「八代」とされていた/『平家物語』と揃える/脇役とされた護良親王と以仁王/源義経主従の話には『太平記』がベースのものがある/「河内国の悪党」楠木正成/楠木正成は、鎌倉幕府の関係者だった/護良親王と楠木正成の一体性/強調される後醍醐天皇と楠木正成の関係/修正される「悪玉」高師直/「高師直による吉野攻撃」を問い直す/「落とし穴」を超えていけ 等

第四章 太平記史観を超えて
(一) 新田義貞の選択1(元弘三年・一三三三)―鎌倉幕府か、足利高氏か―
新田義貞の登場/鎌倉幕府の一員として/鎌倉幕府滅亡の理由はいまだに不明/新田氏と北条氏の関係は密だった/鎌倉幕府か、足利高氏か
(二) 新田義貞の選択2(建武二年・一三三五)―足利尊氏か、後醍醐天皇か―
鎌倉へ/関東誅伐という大きすぎる功/一族を率いて鎌倉を離れる/足利尊氏か、後醍醐天皇か
(三) 新田義貞の選択3(建武三年・一三三六)―後醍醐天皇か、第三極か―
足利一門の分裂戦争だった/下剋上スル成出者/足利氏との攻防戦/後醍醐天皇か、それとも/金ヶ崎城攻防戦/新田義貞は第三極を目指した/新田義貞の先駆性 等

おわりに
あとがき
参考文献

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