「わが人生の歌語り」 05年4月より月一回、日曜朝4時出演(番組:午後11時20分〜午前5時)
1回3〜5曲の歌が取り上げられ、大変な評判を呼んだ番組の書籍化です。
月刊ラジオ深夜便 http://www.nhk-sc.or.jp/index.html
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・歌の一つ一つが思い出と重なり、とても懐かしく何度読んでも涙します(82歳男性)
・「昭和の流行歌」とともにあった人生を代弁して下さいました(77歳男性)
・歌詞が本に収録されているのが良かった(72歳男性)
・2ヶ月間かけてゆっくり読みました。それは歌を必ず歌うためです。ほとんどの歌が懐かしく歌えました(68歳女性) 他、多数!
ロマンを語り夢を抱いた昭和三十年代。希望を与えてくれたのは、いつも歌謡曲だった。いま、歌と涙で生きる力がわいてくる! 敗戦を経て、軍用毛布一枚で上京した五木青年。早稲田大学に合格するも、授業料を滞納し、売血で食いつなぐ赤貧の日々。豊かな石原慎太郎・裕次郎兄弟を唖然として眺めながら、五木は次第にストリップ評論や、業界紙の安い仕事を得てゆくようになる。次から次へと仕事をこなし、マスコミの底辺から、レコード会社専属の作詞家へ。その中で、自分の表現を志す気持ちがふつふつと芽生えてくる―。NHKラジオ番組「ラジオ深夜便」の、五木氏の人生と昭和歌謡曲史をめぐる、トークと歌詞を採録。
五木寛之(いつき・ひろゆき)
1932年、福岡県生まれ。戦後朝鮮から引揚。早稲田大学文学部中退。66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞。『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、『青春の門』で吉川英治文学賞。
★本著に収録した、五木寛之氏の人生
昭和27年 |
早稲田大学露文科に入学。極貧の中、売血しアルバイトをしながら生活する日々を送る。 |
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昭和33年 |
授業料を払うことができず早稲田大学を抹籍に。その後東京に残り、広告代理店で働いたり、自ら雑誌を創刊して編集長兼営業マンを経験する中で、文章表現で生計をたてたいとの思いを強くする。 |
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昭和34年 |
初めて定職に就き、広告代理店のサラリーマンとなる。 |
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昭和35年 |
運輸省広報誌の編集主幹にスカウトされる。しかし、依然将来への不安を抱え、お金の苦労も続く。 |
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昭和36年 |
CMソングの詞を書きはじめたことがきっかけで、テレビやラジオの構成作家やミュージカルの台本の制作者として活躍をはじめ、レコード会社の専属作詞家となる。 |
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昭和40年 |
結婚。大きな力に引き寄せられるかのように全ての仕事を整理して、夫人とともに旧ソ連、北欧へ3ヶ月間の旅へでる。帰国後、夫人の郷里である金沢で生活をはじめる。 |
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昭和41年 |
ソ連での体験をもとに書いた『さらばモスクワ愚連隊』で第6回小説現代新人賞を受賞。 |
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昭和42年 |
『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞受賞。 |
原爆を許すまじ/赤と黒のブルース/哀愁列車/錆びたナイフ/泣かないで/かあさんの歌/有楽町で逢いましょう/南国土佐を後にして/東京ナイトクラブ/黒い花びら/キサス・キサス・キサス/黄色いさくらんぼ/お別れ公衆電話/誰よりも君を愛す/アカシアの雨がやむとき/川岸のベンチで/硝子のジョニー/君恋し/コーヒー・ルンバ/川は流れる/寒い朝/星屑の町/若い二人/下町の太陽/なみだ船/星をさがそう/君だけを/ウナ・セラ・ディ・東京/愛と死をみつめて/ああ上野駅/夜明けのうた/涙を抱いた渡り鳥/鳩のいない村/忘れな草をあなたに/恋のバカンス/網走番外地/女ひとり/東京流れもの
『わが人生の歌がたり 〜昭和の青春〜』をお買い求めいただいた方の中から抽選で200名様にCD「わが人生の歌がたり」第1巻をプレゼント。単行本の帯についている応募券を切り取って愛読者はがきに貼り、住所・氏名・電話番号を明記し、2008年5月31日までにご応募ください(当日消印有効)。
五木寛之氏選曲・監修・語り
CD「わが人生の歌がたり」(第1巻・第2巻)
コロムビアミュージックエンタテインメントより3月19日発売!
各2500円(税込)
コロムビア特設サイト >> http://columbia.jp/wagajinsei_new/