エ・アロール それがどうしたの

















発表以前と以後では、明らかに日本人の恋愛観、恋愛の形を変えてしまった『失楽園』。小説を超えて一つの社会的な現象とさえなったあの小説の著者が、今度は、従来の「老人」の概念を覆す、衝撃的だが、爽やかで新鮮な小説を上梓されました。銀座にある老人ホームを舞台に、次々と繰り広げられる純粋で生な愛のヴァリエーション。愛とエロスの名手が、今度はなぜそこに目を向けたのか。 執筆の背景から、作品に託した思いまでお聞きしました。

エ・アロールが銀座にある理由

――『エ・アロール それがどうしたの』は、従来の日本の老人ホームのみならず、六十歳を超えてからの恋愛、生き方のイメージをも変えてしまうような、お洒落で爽やかな作品ですね。

渡辺 日本の老人ホームも老人のイメージのも、なんとなくシケて元気がなさすぎたからね(笑)。だから、まだまだ皆さんがお洒落で前向きで積極的な、都心型の老人ホームを書きたかったんです。しかも、これまでの暗いイメージとは違うスキャンダラスな老人ホームを書こうと思ってね。

――その入居者の一人は、ヘルス嬢との愛の行為中に満足しつつ急死(老衰)してしまう。冒頭から、かなり良い感じにスキャンダラスですね。


渡辺 僕はこれまで男女のことはずいぶん書いてきたけど、やっぱり、男女の愛は人間の根源的な欲望で年をとっても、人を恋する気持を忘れてはならない。恋をしているほうが、若くなるし、美しくもなれる――。それに、六十歳をこえると、いわゆる企業倫理とか社会の常識などから自由になって、自分は自分といいきれる楽しい世代なのです。たとえば、三十代、四十代の男女が、一流企業、特に銀行とか商社などのようなお堅いなんていうお堅いところにいると、絶えず監視されているようなものでしょう。でも、七十代、八十代になったら、不倫してても、「やれるんなら、どんどんやってね」となる(笑)。
その意味で老年期は、もう一つの薔薇色の人生なのだけど、日本人はなかなかそれに気付かない。だから、この小説ではそういう既成概念を取り払って、老年期に入った方々を鼓舞したい。

さらに、五十代の「ああ、もうすぐ定年近いなあ」なんて沈み込んでいる人たちに元気になってもらいたいと思って。そのためにも、舞台となる老人ホームは、必然性のあるリアリティのあるものにしたつもりです。

――アメリカの老人ホームにも取材に行かれたそうですね。

渡辺 ええ。行ってみてあらためて感心したけど、アメリカのホームには、日本のような侘しいようなイメージはまったくないんです。建物自体も明るくてお洒落で、住んでいる人は元気いっぱい。さらに、日本と大きく違う点は、日本はどちらかというと、特別な介護が必要な人が入るというイメージがあるけど、アメリカでは、定年になると、「さあこれからが第二の人生のスタートだ」と、健常者が喜びいさんでご夫婦一緒に入ってくる。そして、人間関係も、すぐ仲良くなって、キャンピングカーで夫婦や仲間で遊びに出かけたり、地域のボランティアにも積極的に参加している。元気なうちは老人が老人を介護するんです。そういうところも、前向きで素敵だなあと感心しました。

――そういうアメリカの老人ホームの自由で開放的な雰囲気は、この小説に登場するホーム「ヴィラ・エ・アロール」に、かなり近いですよね。さらに、「ヴィラ・エ・アロール」のほうは、銀座という日本でも最もお洒落な場所にあります。

渡辺 じつは、僕はかなり昔から、「老人ホームは銀座に造るべきだ」と言ってきたんです。東京以外でも、老人ホームは絶対に街の中心に造るべきだと。その理由は、買い物に行くにも遊びに行くにも便利だし、家族も訪ねて来やすいし、何より刺激があります。昔、アリゾナにサン・シティという老人だけのコロニーを造ったら、十年ぐらいで全員ボケちゃった。で、改めて造り直したんです。その例を見てもわかるように、人間は年を取れば取るほど、刺激的なところにいることが必要なんです。大気汚染が心配といっても、何十年も生きるわけじゃないからね(笑)。赤ちゃんや子供は大気汚染に気を付けなきゃいけないだろうけど、老人にはそんなことより刺激のほうが大事なんです。

「年甲斐がないほうが素敵だ」

――場所のこともそうですが、この小説を楽しんで読みつつも、目からウロコが落ちるように、自分の認識の間違いにハッと気付かされることが、かなりありました。

渡辺 むしろ、今は若い人のほうが頭が固いんだよね。日本人は子供の頃からずっと「年相応であることがよし」と教えられてきたから、老人に対しても、すぐに「年甲斐もなく」とか言って抑ええこもうとして、考えが古いんです(笑)。

――そこで、タイトルにもなっている「エ・アロール」という言葉なのですが。

渡辺 小説の中にも書きましたが、これはフランスのミッテラン元大統領が、妻以外の女性との間にもうけた子供のことで新聞記者の質問を受けたときに、一言つぶやいた言葉なんです。「それがどうしたの」と。主人公の来栖先生は、この言葉を自分の造った老人ホームの基本精神にした。つまり、何でもあり、何がおきても、「エ・アロール」といって軽くのりこえていく。そういう意味では、来栖先生の意見は、かなりの部分、僕の考えの代弁になっています。というのも、僕は「年相応」の人より、「年甲斐のない」人のほうが素敵だと思っているから。もちろん、本人が「年相応」を望んでいれば別ですが、そうではない、もっと元気に遊びたいという人を、無理にじっとさせているのは、ケアではなく幽閉ですからね。


――それは、特に恋愛、性愛においてそうだと、この小説ではかなり丁寧に書き込まれています。

渡辺 そう。高齢者の性的な衝動については、会話だけでは弱いと思って、かなり実際のデータも小説に加えました。セックスとか恋愛は、体でするようだけど、やっぱり頭でするんですね。頭が明晰で好きという思いがあるからこそ、男性も女性も性的な衝動が起きてくるんです。

――そして、この小説の登場人物たちが、そういう恋愛、性愛に素直に向き合っていく感じは、二十代や三十代のそれより、ずっと純粋な気がしました。

渡辺 三十代とか四十代とかは、まだええ恰好しいでしょう。実際よりきれいに見せようとか、ものを知ってるように見せようとかっていう思いがありすぎる。でも高齢になると、そういうものが削ぎ落とされて、人間本来がもっている純粋なものだけが残ってくる。食欲も性愛も。だからかえってすっきりして、爽やかでもある。

――この作品に描かれている恋愛は、恋愛博覧会と言えるほど、ヴァリエーションが豊富なうえに微笑ましい。三角関係あり、三十歳の年の差あり、六十五歳の売れっ子娼婦あり……。

渡辺 娼婦で唯一素敵なのは、ここに書いたような六十五歳の娼婦だと思うね。七十歳で自分の肉体を売れるなんて立派、買いたい人がいるというのは、素敵なことだと思う。

――それも含めて、『エ・アロール』は、むしろ、同世代の恋愛を描いた小説より素直に楽しめるし、忘れていたものを思い出させてくれる気がします。六十歳になっても考え方次第でこういう生き方ができるのだと知ることは、若い世代にとってかなりの希望にもなると思います。渡辺さんにとっては、今回の恋愛はどういう感じで書かれたのですか。

渡辺 今回は、ある問題を一点に絞り込んでいくような書き方ではなく、いろいろな生きていく形を提示して、リアリティをもたせながらみなに考えてもらいたかった。調べたりすることは多かったけれど、書いていてそれなりに楽しかったですね。

渡辺作品のスキャンダラス性

――そのうえ、先ほどおっしゃったように、ちゃんとスキャンダラスであるところが、渡辺作品です。

渡辺 僕は、スキャンダラスであることは素敵なことだと思っています。スキャンダラスだというのは、人々が興味をもち、群がるということですから。以前、世阿弥の『風姿花伝』について書いたことがありますが、その『風姿花伝』には、人生とか人間の花とは何かということがしっかり示されているんです。人が花になる原点というのは何か。どういう人が花があるか。それについて、息子の世阿弥に父の観阿弥は、「珍しきが花なり」と言っている。要するに、常に珍しい、新しく独創的なことをやりなさい。花のある芸人に大成する原典だと。でも多くの父親は息子に「しっかり真面目に懸命にやれ」なんて言うけど、観阿弥はそんなことは言っていない。「珍しきが花なり」とは、たとえば、小泉総理が出てきたときも、すごい人気だったですよね。それはなぜかというと、やっぱり政治家として新鮮で珍しかったからです。田中真紀子さんも当時は花だった。だから、みんな見に行こうとした。つまり、スターというのは、常にその時代にとって珍しい人なんです。
日本では、スキャンダラスは漢字で書くと醜聞だし、非常に悪いように思っている人も多いけど、じつは、違う。注目を浴びる、華やかに人々の目を惹きつけるということで、とても素敵なことなんです。常にスキャンダラスであるということは、並の才能でできるものではない。そういう意味で松田聖子さんなんかかなり頑張ってるほうだと思うけど、それでも、一生、死ぬまでスキャンダラスであり続けられるかどうかは、わからない。ましてそれを非難している人など、一生、花のある人などにはなりえない。花とは常に折々で独創的で、人々をわかして、いわゆるスキャンダラスである。僕は、スキャンダルという言葉をそういうふうにとらえてるんです。


――その言葉をお借りすれば、この作品は、死ぬまでスキャンダラスであり続けようとする素敵な人たちがたくさん登場する小説とも言えますね。

渡辺 そうですね。それと、高齢者というのは、世代では論じられないのです。二十代、三十代ぐらいまでは、「今の二十代は……」などと世代論である程度くくれるけど、七十代、八十代になると、まさにバラバラ。寝たきりの人もいれば、現役で飛び回ってる人もいるんですから。要するに個人差が大きくなる。

――最後に、かつて『失楽園』が小説を超えて一つの社会的な現象になった、それ以前と以後で明らかに日本人の恋愛が変わったというように、この『エ・アロール』も、以前以後で、老人のみならず日本人全体の「年甲斐もなく」という意識自体も変わってほしいと思われますか。

渡辺 もちろんそうなると良い (笑)。「こんなの夢物語だ」と言いながらも、「でも」と思ってくれる部分が一つでもあればいいなと。僕自身は、夢物語ではなく、身近に迫っている近未来小説を書いたつもりですからね。


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